いつか、誰かが見つけてくれる。
すごい仕事が来て、何かが一気に変わる。
みなさん、そういう未来を待ってしまうことはありませんか。
私はありました。努力が大事だと言いながら、心のどこかでは、話が大きく動くきっかけを待っていました。
ここまで来れば、あとは誰かが迎えに来てくれるんじゃないか。
呼んでもいない迎えの車を、ずっと待っているようなものです。
「いつか」は、返事をしない
誰かに見つけてもらうことも、偶然の機会も、もちろんあると思います。
ただ、いつ来るかは私には分かりません。
「いつか来るはず」と考えている間は、来なかった今日を、ただの待ち時間にできてしまいます。
私は何を待っているんだろう。
仕事なのか。評価なのか。自分で決めなくて済むきっかけなのか。
全部、少しずつ入っていたのかもしれません。
元のX投稿に添えていた画像。
「自分は、待っているだけで何とかなる特別な人ではないかもしれない」と考えるのは、うれしいことではありません。
でも、そこで諦めたいのは、夢そのものより、夢の進行を誰かに預けたままでいることです。
私が「早く絶望する」と言うなら、そのくらいの意味です。
人生に希望を持つな、という話をしたいわけではありません。
助けてもらうことまで、やめない
ここを勢いで「誰も助けてくれない」と言ってしまうと、大事なものまで切り落としてしまいます。
相談に乗ってもらうことはできます。手を貸してもらうことも、作品を一緒に作ることもあります。
困ったときに助けを求めることと、誰かが人生の全部を決めてくれるのを待つことは、違うはずです。
私が気にしているのは、アドバイスをもらったあとも、まだ決めないままでいる時間です。
もっと詳しい人に聞けば、失敗しない答えを出してもらえるかもしれない。
そう思いたくなりますが、意見が増えても、不確実なところは残ります。
相談の続きをする前に、自分が何を選ぶつもりなのかは、見ておきたい。
今日を、待ち時間にしない
だからといって、毎日がむしゃらに動けばいいとも思いません。
休んだ方がいい日もあるし、今は難しい事情もあります。
ただ、できることがある日まで、「大きな何かが起きてから」にしてしまうのは惜しい気がします。
作りかけの一場面に戻る。必要な相談をする。自分から見せに行く。
派手な展開ではありませんが、少なくとも、自分が選んだ今日にはなります。
それでも、迎えの車が来たら、うれしいと思います。
期待まで完全に捨てる必要はないと思いますので。
ただ、来るまでずっと玄関で待つのは、やめておきたいです。











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