みなさん、誰かに褒められたとき、素直に受け取れますか。
悪く言われたことは「現実」として覚えているのに、褒められたことは「お世辞」で片づけてしまう。
私は、この受け取り方を少し疑っています。
都合の悪い意見を信じているから客観的、というわけでもないんですよね。悪口だけを選んでいたら、それも偏っています。
笑う側へ、先回りする
私の身近には、何かを素直に褒めるより、まず粗を探したり茶化したりする空気がありました。
目立つことを始めた人を、少し離れた場所から笑う。
その距離感を、私は普通だと思っていたんです。
でも、自分が何かを出そうとすると、今度はその視線が自分へ向きます。
この程度で発表するのは恥ずかしい。
もっと上手い人がいるのに、わざわざ出す意味はあるのか。
そうやって先に引っ込めておけば、誰かに笑われるところまでは行きません。
ただ、褒められるところにも行けません。
元のX投稿の画像。
冷静に実力を測っているつもりで、失敗したときの恥ずかしさから身を守っていた部分も、私にはあったのだと思います。
外へ出したら、違う声があった
見方が変わったきっかけは、人と会う機会が減った時期に、周囲の価値観から少し離れて、作品をネットへ投稿したことでした。
思っていたほど笑われませんでした。
面白い、すごい、と反応してもらえたんです。
友人から投稿しない方がよいと言われた作品にも、反応がありました。
身近な人の意見が、全部間違っていたという話ではありません。
でも、その数人の好みだけで、見ていない人たちの反応まで決まるわけでもなかった。
私は、身近な空気を、世間全体だと思いすぎていたのかもしれません。
逆に、身近な人に褒められたから必ず広く受ける、とも限らないはずです。
どちらにしても、出す前には分からない部分がありました。
自分の笑い声に、少し遅れて気づく
だからといって、明日から何でも堂々と出せるようになるわけではありません。
長く使ってきた見方は、気づいたくらいではなくならないと思います。
ただ、「どうせ無理」と思ったとき、何を根拠に言っているのかは、一度見たいです。
実際に試した結果なのか。
それとも、まだ誰も笑っていないのに、自分が先に笑っているのか。

自分に聞くなら、あまり胸を張れない質問です。
ほかの人が何かを始めたときにも、同じことを考えたいと思っています。
無理に褒める必要はないけれど、最初の一歩を笑って止める必要もない。
「完成したら見せて」と言える側に、私はいたいです。
自分の作品にも、それくらいは言ってあげたいですね。
まだ完成していないのに、いちばん近くで悪口を言う人になってしまわないように。












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